ライブは修練の場であるとは思う

1984年にユニットを結成して、初めてライブハウスに出演したのが1994年でした。10年間、宅録だけを行なっていたかというと決してそうではなく、ライブは年一回必ず行なっていました。

母校の大学祭が発表の場でして、卒業した後も、所属していたフリーミュージック系のサークルの後輩に教室を取らせて、初代メンバーの特権だと称してセッションを繰り広げていました。

大学祭は秋に行なわれるのですが、ユニットの相方の母堂が近隣の大学の寮の舎監で、夏休みに寮生を強制的に帰省させる強引な学校だったのを幸いに、誰もいない寮の大広間を借りてセッションのための練習を毎年行なっていました。

4〜5日ある大学祭の会期中、割り当てられた教室に入れ替わり立ち代り必ず誰かが居て音響を発してしました。部屋中に風鈴を吊り下げて、皆で寝そべって涼しげな音響を鑑賞したこともあります。

トータルで100時間近くもありましたので、予め準備したことだけではとても間が持ちません。教室に持ち込んだ数少ない機材を使って、常に何か新しいことが出来ないかと知恵を絞り合っていったのは、今振り返ってみると、自分の音楽表現を幾ばくかでも拡張していけた貴重な体験だったと思います。

残念ながら件の音楽サークルは1991年末をもって解散しました。けれども、数台のカシオトーンの鍵盤をガムテープで固定してドローンを何日も奏でることを体験できたのは一生の宝です。

ただ、こうした芳醇で贅沢な経験を積んでしまうと、時間いくらで支払って1時間弱の演奏時間を買い取ることが、あたかも普遍的であるかのようにまかり通っている日本の状況が、音楽家に対する経済的収奪のシステムに思われてならないのです。